先生はどんな人?


音楽好きの母の影響でピアノを始めました。
ピアノを習い始めたのは小3、と遅かったですが、それまでは母の手ほどきを受けていた事もあり、ある程度はピアノが弾けて楽譜も読める、という状態でした。


家にはいつも母のピアノの音が流れていました。よく、コンサートにも連れて行ってもらいました。

小3になり
母が習いに行っていた音楽教室へ、私もバスで30分かけて通うようになりました。
長崎ではこの先生!と言われるくらい有名な先生のグループレッスンで、周りは優秀なお子さんばかり。子どもながら先生の指導力はすごいなぁと思っていました。

私はのんびりした子どもだったので
外遊びばかりして、ピアノの練習はおまけ…という過ごし方のごく普通の子どもでした。

小学校高学年で一度
「ピアノを辞めたい」と思った事はあります。
練習が嫌いだったので、延々と練習を続ける生活に飽きてしまいました。

紆余曲折を経て、何とか続けることが出来ましたが、「出来ないことを諦めず、粘り強く取り組む」事の大切さもこの時に学んだ気がします。


中3からは
活水高校音楽コースへの進学を目指し、ピアノだけでなく、声楽、聴音、楽典などのレッスンにも通うようになりました。
高校で音楽コースに進学してからは、周りにピアノの上手い子が沢山いたため、自信をなくす事もありましたが、学校で音楽の専門的な授業が受けられた事、年に二回ピアノと声楽の実技試験が受けられた事など…とても恵まれていたと思います。


部活のアンサンブル部ではバイオリンを弾いていました。

高校生になってからは、大学の先生を含む二名の先生のピアノレッスンを受けるようになりました。厳しいけれど、きちんと大切な事を出し惜しみなく教えて下さる、温かい先生のレッスンでした。

私は、先生に関しては何故だか運が良く、ずっといい先生に恵まれていたと思います。

大学時代はピアノの練習に明けくれましたが
「教員免許を取るか、取らないか」で随分悩みました。
「安定」と「好きなこと」どちらを選ぶかで気持ちも揺れましたが、やはりピアノを教える仕事を選択したお陰で、今は自分の人生に納得出来ている所があります。

卒業時には、選抜の卒業演奏会にも選ばれました。卒業と同時に「長崎県新人発表演奏会」のオーディションもピアノで受けましたが、残念ながら次点の奨励賞でした。ここぞ、という時に実力が発揮出来ず、今まで努力してきたつもりでも、人前で演奏する事は何と難しいことかと思いました。


大学卒業後はヤマハ音楽教室のシステム講師になりました。
多い時は70名以上の生徒を抱え、それに加えて合唱のピアノ伴奏を4つ掛け持ちしていた時期もありました。本当に忙しかったですが、この仕事が好きだったので夢中でレッスンしていました。イベントの在り方など、多くを学ぶことが出来ました。

色々なタイプの先生に出会いましたが
「先生によって、生徒の力の付き方が違う」ことを目の当たりにし、「生徒に残念な思いはさせたくない」「私も何とか指導力を磨いていこう」と、必死に指導について勉強しました。


結婚、出産後はゆるやかなペースでレッスンすることになりました。
(フルにレッスン、だと21時過ぎまで、のような働き方になるので)

仕事のペースは落ちましたが、産休、育休明けにテキストの改定があったり、低年齢のコースを新しく受け持つことなどが重なり、レッスンの前日は朝方4時、5時まで指導案を考える日が続きました。仕事の準備の最中に子どもの夜泣き…。慣れない育児に加えてハードな日々…この時は本当に心身共にすごく疲れていました。

仕事の時間帯が子育てと合わない事にも難しさを感じていました。

そして
子ども達も大きくなり
家庭と仕事の両立にも余裕が出てきた頃
「自分は何がしたいんだろう?」と改めて考えるようになりました。

音楽教室ではエレクトーンを使ってのグループレッスンをするのがメインでした。アンサンブルをしたり、伴奏付けをしたり…

もちろん、伴奏付けなどは大好きだけど
もっと「ピアノに特化した」レッスンがしたい…私の専門はピアノなので、それを生かしたいと思いました。


音楽教室を退職した今
教室の運営者としてはまだまだ未熟ですが

楽しいレッスンライフを送っているので
子ども達からは
「お母さんは、いつも好きな事をやって楽しそうでいいね」と言われます。



嬉しい時も悲しい時も
いつも音楽が側にあると心が豊かになります。


音楽で「自分を表現することの喜び」を感じて欲しい。音楽は聴くのも楽しいですが、能動的に自ら演奏して自己表現出来ると、更に楽しくなります。


「音楽っていいね!」という気持ちのお子さんが一人でも増えることを願いながら
日々のレッスンに励みたいと思います。


No music、No life!